「DEATH NOTE」作画者である小畑健 氏の前作「ヒカルの碁」を読破しました。
多少納得のいかない面もありますが、また1つ考え方を鍛えられた気がします。囲碁に関しては多少興味が沸いたものの、雰囲気だけで充分といった感じです。しかし囲碁に対してのイメージは確実に変わりました。
最近の私の思考は、漫画やゲーム、はたまたネタサイトから学びとったものばかりです。具体的には「DEATH NOTE」だったり「人狼」だったりです。
特に人狼は、どう振舞ったら人の信用を得られるか、どう説得すればいいか、どう演じればいいか、どう引きずり込むか、すごく難解でまるで人生の難しさの片鱗を見ているかのようです。(対象となる相手が人間だからでしょうか。)
これらを読み、感じ、考え、私は生活しています。
そして多くの考え事が渦巻く中で、ある1つの結論として感じたのは、何事も自分がどの言葉を正しいと感じて、どの言葉を信じて、どう動いていくかだ、ということです。つまり、最終的には自分自身の判断。
学校では色々な先生の話を聞きますが、先生方の意見が違う事もしばしばです。考え方は人それぞれなのだから当たり前。しかし聞いてしまった以上は、その意見を自分で判断しなければいけません。どっちの意見が正しいかなんて誰にも分からないのだから判断はつけかねます。頭がパンクしそうと思う時もあります。
余談ですが、私は人から説明を受ける時、8割方その説明を頭の中で図解しようとします。そして聞く最中はそれに夢中になるので、その人とずっと視点を合わす事ができません。視線を合わすと想像する集中力より、目を読もうとする集中力の方が勝ってしまうのです。集中すればするほど、視点は定まらなくなります。
という事で、たまに視点が定まっていない事があるけどもそれは一生懸命考えている証拠なのでご理解頂けるとありがたい(私の身近にいる人へ)。
答えがないことはとても難しく、自分自身に判断する力がなければどちらが正しいかの判断はつきません。今の私の悩みはどうしたら判断力がつくかです。それは経験が物を言う面が大きいので、中々に精進しにくいものでしょうが、こうやって考えることもその一歩だと思います。